Vibe Codingがおもしろくない
いやまあ全くおもしろくないわけじゃあないんだけど……。
最近趣味のコーディングでも仕事でもAIを詰めてコード書かせてるけど、手でコード書いてた時よりおもしろさが減っててつまんなくない? ってきもちに若干なってる。
もちろん便利だし、使うんだけど……。
やるだけ みたいなことをやってもらうのはマジで良いと思う。
動かせる手の速さが全然違うから、できることが増える って点ではおもしろさが増えてることに留意。
労働の密度が上がる ってことなのでうれしくなさもあるのでは?(?)
例えば最近の趣味のコードだと、EZ Sign NFC e-Paper書き変えるやつをClaude Codeに書いてもらってた。
https://gist.github.com/niw/3885b22d502bb1e145984d41568f202d このgist見ながら書けばできるなー と思ってたけど、試しにこのmdを置いてから「なんかこんな感じでできるっぽいからやっといて」ってしてたらできた。
いや、確かに望むものはだいたいできたし、まあ細かいところは手で直せばいいんだけど、これでいいんだっけ……?
AIが無かった時には、たしかに一瞬ではできてなかったけど、できた時にはNFCの通信についてある程度わかってたようになってた気がするんだけど、今回は書いてもらってしばらく経ってるけど、もうぜんぜん覚てない……。
逆に、pngの構造とかは自分でパーサ書いたから、細かいところはともかくどんな世界観かは一生忘れなさそう という気はしてる。
仕事のコードでも、もちろん自分がAIに書かせてPR出したやつは私の責任だと思ってるから、出してきたコードを「ヨシ!」ってやってから出してるけど、やっぱりしばらくしたら手で書いたコードと比べて記憶が揮発してる気がする。
「まず自分で解いていない問題集の解説を聞いてる」ような居心地の悪さ みたいなのがあるのか?
これ何が違うんだ? と思うと、「写経性」(今ここで考えた語)みたいなのが足りていないのでは? という気もしてる。
車輪の再発明をして車輪の構造を理解する みたいな時に得られるポイント。
大学のノートとかも、「ノートを取ること」が一番本質で、取られたノートはほとんど参照しない みたいな感じだったし……。
どうせ主張の全体は教科書とかインターネットに書いてあるんだし、写す時に1回解釈/実行するのが一番効果あるな〜 という気になってた。
わからず。
コード書いた時に発生する書かれたコード以外のところが失なわれてる?
AI詰めたらたしかに目の前の問題は解決していくし、まあエンジニアだから「問題と向き合う」のが仕事だからやりはするんだけど、やっぱり「コンピュータと向き合う」のが足りていないのでは!?!?!?!?!
「たしかに問題を解決するおもしろさは残ってるんだけど、コンピュータと向き合うおもしろさがなくなっているんでは?」ぐらい。
まあ問題は解決してるし、エーアイを詰める仕事(エーアイの責任を取る仕事)はそんなにすぐにはなくならない気がするし、それはいいんだけど、これだったらエーアイにとってかわられて失職してまだAIにはできないことをやったほうがおもしろいのでは? という予感もしなくもない。
大変なのでいやですが……。
コードを書くのは、コード書いて完成するものがほしいから だけじゃなくて、コード書くのがおもしろかったから というのの後者が落ちている という感じなのか。
今まで手でコードを書いていた各位はこれどんなきもちで暮らしているんだろう?
問題を解決するのが楽しくて、コードを書くのはおまけ 派が多数な気もするから、あんまり考えられていない?